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2025/02/03 22:07
台湾茶を詳しく知る#11 今回は【中国茶の歴史】についてです。
台湾茶を詳しく知る上で欠かせない中国茶の歴史についてまとめました。
中国茶の歴史
中国茶の歴史は約5000年前に遡り、伝説によると神農帝が茶を発見したとされています。
紀元前2737年頃、神農帝が沸かしたお湯に偶然茶葉が落ち、その香りと味わいに感銘を受けたことが茶の始まりとされています。
この神話的な起源は、中国における茶の文化的・薬用的な重要性を象徴しています。
古代(紀元前~秦・漢時代)
茶の最古の記録は紀元前3世紀の秦の時代に遡ります。
当時、茶は薬用植物として利用され、特に解毒作用や消化促進の効果があると考えられていました。
秦から漢の時代(紀元前206年〜220年)にかけて、茶は貴族や上流階級の間で徐々に飲まれるようになり、薬用だけでなく嗜好品としての側面が強まっていきました。
唐代(618〜907年):茶文化の確立
唐代は中国茶文化の黄金期とされ、この時代に茶は国民的な飲み物として広く普及しました。
陸羽が著した『茶経』は、世界最古の茶に関する専門書であり、茶の栽培方法、製造工程、茶器、飲み方まで詳細に記述されています。
この書物は茶文化の体系化に大きな影響を与え、茶が単なる飲料から文化的な象徴へと昇華する契機となりました。
また、この時期には茶が仏教寺院でも広く使用され、禅僧たちの修行の一環として重要な役割を果たしました。
宋代(960〜1279年):茶芸と抹茶文化の発展
宋代には、茶文化はさらに洗練され、芸術的な要素が加わりました。
特に「点茶」と呼ばれる抹茶スタイルの飲み方が流行し、茶会(茶宴)が貴族や知識人の間で盛んに開催されました。
この時代、茶は詩や絵画、陶芸などの芸術と密接に結びつき、文人文化の一部として確立されました。
また、茶の品種改良や製茶技術も進化し、多様な種類の茶が生産されるようになりました。
元・明代(1271〜1644年):製茶法の革新
元代から明代にかけて、茶の製法に大きな変化がもたらされました。
それまで主流だった蒸し製法から、炒ることで酸化酵素の働きを止める「炒青」製法が普及しました。
この技術革新により、烏龍茶、白茶、紅茶といった新しい茶の種類が登場しました。
また、明代の皇帝・朱元璋は、抹茶形式の粉末茶ではなく、葉茶の使用を奨励し、現在のように茶葉を直接抽出するスタイルが定着しました。
清代(1644〜1912年):中国茶の国際的拡大
清代には、中国茶は国際貿易の重要な品目としてヨーロッパや中東、東南アジアへ広まりました。
特にイギリスとの貿易関係において、中国茶は重要な輸出品となり、東インド会社を通じて大量に輸出されました。
この時代には福建省の武夷山で生産された岩茶や、雲南省の普洱茶が高い評価を受け、世界中の茶愛好家に知られるようになりました。
また、アヘン戦争(1840〜1842年)の背景には、イギリスと中国との間の茶貿易が深く関与しています。
近代以降(1912年〜現代)
中華民国の成立以降、中国茶の生産は多様化し、国内外での需要が増加しました。
中国本土では新しい製茶技術が導入され、茶の品質管理も強化されました。
1949年の中華人民共和国成立後は、国営の茶農場が整備され、紅茶や緑茶の大量生産が進められました。
21世紀に入ってからは、中国茶は「健康飲料」として再評価され、特に緑茶や白茶、プーアル茶が世界的な人気を博しています。現在では、中国全土で多様な茶葉が栽培され、地域ごとに異なる特徴を持つお茶が楽しまれています。